わが母や姉がやたら炭酸ジュースを飲むのですが、私には理解できないくらいに飲みます。
とくに母は毎日1L以上飲むので、私的に解せんかったわけです。
なんでそんなに飲むのだろう・・・
と疑問に思ったので勝手に考察するわけです。
ちなみに私はそうそう飲みません。
だって口の中が痛いんやもん、炭酸。
そんなわけで炭酸は「二酸化炭素が溶けた水」なので、体内に取り入れると血中二酸化炭素濃度が上昇します。
その増えた血中の二酸化炭素を早急に排出しようと血管が拡張し、肺までさっさといって二酸化炭素を酸素と交換できるように心臓も頑張ります。
つまり血流がよくなります。
血流がよくなることで体温も上がり、副交感神経が優勢になります。
つまり「リラックス」した状態になります。
つまり炭酸をがばがば飲む人は脳が強く「リラックスしたい」と思うくらい、いっつも脳が、身体が緊張している状態なんじゃないかなと思ったわけです。
そして「リラックスしたい」っていうのはつまり
『快感』『幸福感』『安心感』
を求めていると思ってもいいのかと思うので、私はそのように定義します。
炭酸はとくに飲んだら『スカッ』としますしね。
で、『快感』と深くかかわるのは『ドーパミン』でして『やる気や学習能力』とも関係しています。
『快感』ということですので『依存症』とも関係もあります。
また『セロトニン』は『安心ホルモン』とも言われていて、心の平穏を保つ作用をしています。
細かいこと言うとホルモンちゃうけど。
神経伝達物質やけど。
ちなみに『セロトニン』の90%は腸で作られますんでね。
みなさん、腸は超大事にしてね。
なんつって。
そんなわけで独断と偏見を申しますと、炭酸をがばがば飲むっちゅうのも依存症の一つと考えてもいいと思うんですよね。
そこでここは炭酸だけに話をとどまらせず
『なんで依存症っつーものがあるのか』
を考えてみたんですよ。
さきほど挙げた「ドーパミン」「セロトニン」あたりの神経伝達物質は『報酬系』と呼ばれ、脳にとって、つまり私たちにとって『ご褒美』なわけです。
で、そのご褒美の存在理由は基本的には『種の存続』のためであり『生きるため』なんですよね。
『種の存続』に対して必要なことに「ご褒美系神経伝達物質」がでるわけです。
それは
おいしご飯を食べるとき
出産のとき
子育てするとき
愛する人の肌に触れるとき
などがあるわけです。
ですが脳は強い快感を覚えるとそれを忘れられず、その強い快感を常に求めるようになり、それが依存症へとつながります。
とはいえそもそもは『種の存続』のためにあったはずの『報酬系神経伝達物質』の働きが、どうして依存を生むようなところにまで到達してしまうのだろう…とそこが疑問なわけです。
そこで考えたわけよ。
私たちがうほうほ狩りをしていて、日々「食うか、食われるか、飢え死にするか」みたいな生活をしていた時代は少なくとも依存症なんてなかったんじゃないかと。
生きることに必死で、死が身近にあった時代は依存症なんてなかったんじゃないかと。
人間がもっと動物に近かったときは、依存症なんてなかったんじゃないかと。
動物の世界でも、自然発生的に「依存症」なんて存在するんだろうか。
動物の世界に「生きるのに必要でない『依存症』」なんてあるんだろうか。
少なくとも人間にはあるよね。
アルコール依存症
ニコチン依存症
カフェイン中毒
どれも生き残るために必要不可欠ではないもんなあ。
なんで人間だけこうなんだろう。
大脳が発達すると、こんなことになるんですかね。
私的には良し悪しですな。
『種の存続』に必要もないレベルで『報酬系神経伝達物質』であるご褒美を欲しがるって
おなかいっぱいなのにデザート注文して、なおかつ食べきれずに残して捨てるような
そんな現代世界の縮図のようで、やっぱり解せない私がいるのでした。
はい。