聖なる開きなおり。
私くらいの年齢(40すぎ)になってくると、いい意味のあきらめが出てきます。
自分の「できること、できないこと」がだんだんちゃんと分かってきて
「あぁ。この分野にあたいが力を注いでも消耗するだけやな。」
とか
「ここはわりと得意っぽいな、わし。」
とか
やっと分かるようになってきました。
(遅い?遅いの??みんなとっくに気づいてるもんなのか!?)
それこそ適正だけじゃなく、体力的にも人生の時間的にも、何かと効率よく動かないとなってのもありまして。
人生の最期のときを、40すぎたらちゃんと考えとかなきゃなってのもありますしね。
そんなわけで何かと自分の不得意なところに時間と労力を割くのはもったいなのであります。
そして何より残りの人生も力の限りワクワクを詰め込んで生きていく所存なので
やはりそのワクワクをけずる要因になるものは可能な限り排除したいわけです。
だから
- 自分のできることはする
- できないことは素直に助けを求める
をやっていこうと思うのです。
これが「聖なる開きなおり」なんです。
今まで
「みんなができて、自分にできないこと」
などに必死に時間を使おうとしたり、お金を使おうとしたりしてましたが
みんなと一緒になる必要もないのだなと感じている今日この頃。
ありのままの個性を発揮しあって、なおかつ補い合う関係性が本当の意味でダイバーシティーでありインクルーシブなのであるから、そこを目指すのが合理的だなと思っております。
自分の心からやりたいことをやって、ワクワクを周囲にばらまく行為は決して「自分勝手」ではなく、それは自分にとっても周りにとってもプラスになるわけです。
自分がやりたくないことを人に押し付けるのではなく、自分が不得意なこと、できないことを、得意な人、できる人に手伝ってもらうわけです。
そうするほうが一つの大きな目標に向って、みんなで効率よく進める。
できないことを無理するより
「聖なる開きなおり」
でみんなでワクワクしながらお互いを助け合っていきましょう✨
コメントを残す