失われた10年とか20年とか30年とか。

なんかちょいちょい聞きますよね、この言葉。

『日本のGDPが下がって、中国がの方がふんたらこーたら。』

『AIの研究で日本は各国に遅れをとって…ふんたらこーたら。』

などなど。

そりゃね。

私も日本の教育を見ていて

英語に関しても、数学やプログラミングに関しても

『おいおいおい…』

と感じざるを得ないことがありますが、ひとまずそこは置いといて。

例えばAIの研究。

アメリカや中国のAIの研究へのお金のかけ方は日本とは比べものにならないくらいです。

そりゃそうだ。

これからはAIな時代だもの。

だからこそ私も

『日本出遅れすぎ!』

『日本がんばれ!』

みたいに思った時期もあります。

でも最近それも『違うな』と思うようになって。

地球規模で見て優れた研究者が他の国にいるならそれでオッケーじゃないか、と。

『他の国に負けてるから日本ガンバレ!』

みたいなんは、見えない戦争みたいなもんだな、と。

国家で競争する必要ある??と。

この先の世界に本当の意味での【平和】を望むなら

『日本勝った』

『日本負けてる』

はいらないと思う。

『この国はこれが得意なのね』

『この国はこういうことが必要なのね』

世界の中での自国の立ち位置を見極めて

『私は何が得意?私には何ができる?』

と、国家レベルでもそう考える方がよかろうと思うのですよ。

日本国内でも個人のレベルでは

特に若い人たちの間では

こういう考え方の人が増えていると感じます。

『失われた〇〇年』

当たり前ですよね。

平家物語だって言ってるぜ。

『諸行無常』だと。

『奢れるものも久しからず』だと。

全てのものは始まった瞬間から終わりという節目に向かっていってるのだから

いずれ『失われる』時期がやってくるのは明らかなんですよね。

ましてやそれは良い悪いではないじゃないですか。

ただの『当たり前』

人も、国家も、星も、宇宙も

始まりがあって成熟して終わりがくるのだから。

別に悲しいことじゃない。

ただのサイクル。

『衰えるのやだー!!』ではなく

『衰え』という現象をいかに楽しいものに

いかに素敵にしていくかを考えていくことが

大切なんじゃないかなと思う次第です、はい。

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